早池峰神社と座敷童と瀬織津姫 岩手


まだ遠出ができないので、行きたい場所も聖地巡礼カテゴリで記事にしていくよ

今回は岩手は遠野、早池峰山と早池峰神社だよ
早池峰神社と座敷童
私は「神様セカンドライフ 58話 アラハバキ」でヤエ様が座敷童を詐称したセリフでこの神社を知りました。こちら↓神様セカンドライフ 58話「鬼謀の人」
座敷童子と言えば遠野。
小学生のころに、家族旅行で行った遠野で、座敷童子が出そうな古民家に行った。私は5本ぐらいの細い輪を1箇所金具で止めたお気に入りのブレスレットをしていたが、気がついたらその金具が消えていた。小さな金具は見つけようがなく、「座敷童子が持っていったのかもしれない」と諦めた記憶がある。まだ「遠野物語の館(旧とおの昔話村)」もなかったころ、あれはどこだったのだろう。
そして父の実家、岩手県一関市花泉町金沢(かざわ)。
父の母校である金沢小学校には座敷童子がいたそう。
子どもの頃、法事で金沢に行き、父からその話を聞いた時は、木造の雰囲気ある小学校。
今は鉄筋になっているけれど、今も座敷童子はいるのかしら。
それなりに大きい地主でもあった父の実家も今は更地になり、本家は今の代でなくなる。
あ、コロナ禍明けたら、ぜひ9月の「金沢八幡神社」の祭りの「大名行列」見に行ってください。(ダイマ)
そんなこんなで、私は座敷童子がなんとなく好き。
さて、早池峰神社は、岩手県の早池峰山にある神社で山頂に奥宮がある。標高1914㍍。山の登山口には早池峰神社を名乗る4つの神社。
「 」は通称。( )は前身。
東、「江繁(エツナギ)」 (新山堂) 。住所は宮古市江繋。
西、「岳(タケ・嶽とも表記)」(池上院妙泉寺)。 住所は花巻市大迫町。
南、「大出(オオイデ)」(持福院妙泉寺)。 住所は遠野市附馬牛町。
北、「門馬(カドマ)」(新山大権現)。 住所は宮古市門馬。

明治時代の神仏分離令で神宮寺などが廃止されたから、神社部分が早池峰神社になったのかもしれないね。
座敷童祈願祭
「座敷わらし祈願祭」は南の「大出」、遠野市の「早池峰神社」でおこなわれる。1988(昭和63)年からはじまった今年2021年で33年目のお祭りである。1989年が平成元年なので、ほぼ平成生まれだ。
早池峰神社から座敷童が付いてきたという話は、1983(昭和58)年ごろの話と伝わる。参拝した人の車に座敷わらしが同乗し、家までついてきたという。その後、その人の事業は大成功、お礼として早池峰神社に多額の寄付をした。
その話が広がり、「座敷童に来てほしい」という参拝客が多くなったのだろう、
1988年に「座敷童祈願祭」が始まる。
最初は座敷わらしの依代(よりしろ)となる日本人形を持参して、人形に座敷わらしをおろして貰う儀式だったようだ。年々希望者が増え手に負えなくなったのか、いつのころからか、座敷わらし人形限定10体頒布になった。2021年は、コロナ禍のため、神職と総代のみの参加での祭り開催だったので、人形頒布があったかはわからない。

…いつのまにか車に乗ってる子どもって怖くない?

怖く感じないから座敷童だという認識になったんじゃないかな
頒布された日本人形を手に入れた人のツイートを見つけた。
早池峰神社の座敷童祈願祭いってきました。なんか二、三年くらい本当は待つらしいですが幸運にも人形もらえました。 pic.twitter.com/KxvHxRq1Fq
— おむつ@ディスク生活保護 (@omutu1919) April 29, 2015
・・・日本人形はやっぱちょっと怖い気がする。
こっちのヤエ人形がうちに来ないかしらん…(←自分で作れ)
鍵アカの方につきちゃんとは見せられないけどこういうものがあったりもします(かわ pic.twitter.com/CLAO9hWxPn
— LV3(れべるさん)@漫画ビューワ配布中 (@osLV3) October 17, 2021
というか、ミッチーとヒトツメ様人形つくって、秩父神社で待ち合わせしてヤエ人形と遊びたーーい。
ヤエ様ぬいぐるみが可愛すぎて、私もミッチー作ろうかと思ってしまう…。#神様セカンドライフ pic.twitter.com/MofmlXGynk
— 玲子@タマノス (@reikorin265) August 21, 2020
アオ様が岩手の滝沢市、鬼越蒼前神社から北秋田のミヨシ神社にやってきたのは江戸時代。早池峰神社が座敷童の神社とされたのは、アオ様が秋田を離れていた50年間のできごと。ヤエ様がこの昭和の座敷童伝説を知ったのはいつだったのだろう。自分で検索したのかな。スマホ使いこなす神様だから。
早池峰神社(奥宮)の由緒
早池峰神社は、807(大同2)年、田中兵部、始閣藤蔵の両名が山頂に姫大神を祀ったことに始まったという。田中兵部成房は花巻の、藤蔵は遠野の猟師、いわゆるマタギ。
2人は雪の降る早池峰山で、猟をしていて出会った。お互いに、額に金の星を持つ不思議な白い鹿を追っていたと知り、白い鹿はこの山の神霊だと気づく。2人は神に自分たちが選ばれたとして、雪が消えたら山頂に祠をたてようと約束して下山する。そして6月に山頂の祠を建てた。
これが「東根嶽(アズマネダケ)明神」である。
下山した田中兵部成房は猟師をやめ、田中神社を建てて自ら神主になった。藤蔵もまた、伊豆神社を建て、自らを始閣(四角)藤蔵と名乗った。
そのせいだろうか、遠野の「大出」と花巻の「岳」の早池峰神社の2つは今も隆盛なようだ。

あれ・・・「姫大神」?「東根嶽明神」?
いつから「早池峰神社」になったんだろう?

これも明治の神仏分離からかな?今は奥宮も登山口の早池峰神社も、田中神社も、伊豆神社も、「瀬織津姫」が祭神だね

セオリツ?!
私の地元の神社で、天下春命(アメノシタハル)と一緒に祭神をしている瀬織津姫。
彼女は古事記日本書紀には出てこない。大祓の祝詞に記された穢れを洗い流す水神。4柱の祓戸大神の1柱。
記紀にでてこないから、好き勝手に設定盛り込めてしまうところがある。
アマテラスの荒御魂、金龍、アマテル又はニギハヤヒの妻……。スピリチュアルな人たちのお気に入りだ。
かくいう私も勝手にイメージしてる。
セオリツは治水されてない川。
雨で氾濫し、穢れも何もいっしょくたに全部押し流してしまう暴れん坊。
肥沃な泥も運んでくるけど、山だと土砂崩れや鉄砲水を起こす困ったちゃん。
記紀に出てくる水神はミツハメ(ミツハノメ)。
イザナミが火の神カグツチを産んで火傷をした時に生まれた神。
私のイメージでは、ミツハメはこんこんと湧き出る泉や井戸、めぐみの雨をもたらす穏やかなおっとりさん。
水は器によって形を変えるから、水神は一柱だけなのに、そのいろんな面によって名前が違って呼ばれているだけかもしれないと思ったりもする。
そういえば早池峰山はニギハヤヒの降臨地という説がある。
ハルたちはニギハヤヒの従者だったんだから、なんか知ってるんじゃないの?

………メタ発言になるから黙っておこう
早池峰(はやちね)という名前
大出の早池峰神社に残る「開山普賢坊」に早池峰山の由来がある。祈願すれば水の湧く「早池の泉のある峰」。不浄を嫌う神だから瀬織津姫になったのかも。当山の頂に一つの霊池あり,その形丸く径三尺、深さ三尺余、常に清水を八分ばかり湛える。霖雨(りんう:長雨)に溢れず、旱魃にも渇れず、その味甘味、これを不浄の器にて汲めばたちまちにして涸れる。読経して祈ればまた速やかに湧き出す
「開山普賢坊」(早池峰山妙泉寺文書)
名称についてはアイヌ語説とか、山の形説とか、いろいろあるので、お時間のある時によろしけば花巻市のHPへGo!
花巻市
早池峰山中の七不思議
マタギによる開山。水神信仰があり、山伏の修験の山だった早池峰山の七不思議は以下の通り。1、権現霊誕の由来(白い鹿に導かれるってなんなん?)
2、絶頂の妙泉(穢れていると枯れて、祈ると湧く頂上の泉)
3、田植場(山中で田植歌が聞こえる)
4、竜馬場(いるはずのない馬のいななきが、以下略)
5、山中での鶏鳴を聞く(いるはずのないニワトリの声が、以下略)
6、参詣人の不信・不行跡があれば天候が急変する
7、信心の者が神明仏陀をみることがある
七不思議はこちらの記載から。文体から出典は妙泉寺文書っぽいかな。
広がった早池峰の信仰
奥宮には毎年各地域から代表で参拝する「講」もあったという。早池峰山の信仰エリアは、北は岩手県北部から南は宮城県牡鹿半島にまで及び、早池峰神社は奥宮と麓の4社のほかにも、境内社として早池峰神社が存在する。
「早池峰」の名を刻んだ石碑も数多く遺されている。女人禁制だったため、女性が拝むために、参拝した人が記念にと建てたと言われている。一時期は関東からも登拝した人がいた記録がある。
早池峰山と遠野物語
遠野物語に早池峰山の女神の話がある。遠野物語 神の始(はじめ)来内(ライナイ)の伊豆権現は早池峰神社を建てた藤蔵の伊豆神社のこと。
遠野の町は南北の川の落合に在り。以前は七七十里とて、七つの渓谷各七十里の奥より売買の貨物を聚、其市の日は馬千匹、人千人の賑はしさなりき。四方の山々の中に最も秀でたるを早地峰と云ふ、北の方附馬牛の奥に在り。東の方には六角牛山立てり。石神と云ふ山は附馬牛と達曾部との間に在りて、その高さ前の二つよりも劣れり。大昔に女神あり、三人の娘を伴ひて此高原に来り、今の来内村の伊豆権現の社ある処に宿りし夜、今夜よき夢を見たらん娘によき山を与ふべしと母の神の語りて寝たりしに、夜深く天より霊華降りて姉の姫の胸の上に止りしを、末の姫眼覚めて窃に之を取り、我胸の上に載せたりしかば、終に最も美しき早地峰の山を得、姉たちは六角牛と石神とを得たり。若き三人の女神各三の山に住し今も之を領したまふ故に、遠野の女どもは其妬を畏れて今も此山には遊ばずと云へり。
「遠野物語」1910(明治43)年、柳田国男著
来内には、
・藤蔵の旧宅地跡
・女神が生まれたと称するお産畑、お産田。
・おしめ岩
・産湯を沸かしたと称するお鍋が田
など伝承が多く残されているらしい。
3人の娘をつれた女神ではなく、3人女神を産んだのだろうか?
母親の女神は、「今夜よき夢を見た娘に、最もよい山をあげよう」と言う。
娘たちが眠ると天より霊華(れいか)が姉の女神の胸の上に降りてきた。
早く起きた末の女神は、姉の胸の華に気づくと、それを自分の胸の上にのせた。
その結果、末娘は最も美しい早池峰山をもらった。
こら、末娘ーーーー!
この末娘が瀬織津姫なのだろうか?
早池峰神社の祭神だからそうなのかな?それとも訪れた母神が瀬織津姫?
しかし何故、母神は訪れた先の山の所有を自分の娘に与えることができるのだろう。
「よき夢を見た娘に良い山をあげる」と言ったのに、なぜ華を胸にのせた娘にあげるのだろう。
華が降りた姉神は良い夢を見たのではないのか。末娘は姉神が見た夢を聞いて、交換するならまだしも、寝ている間に取るのはダメだと思う…。こういうのは現代の考えかたすぎるのかな。
さて、姉1は「六角牛山(ろっこうしさん標高1,294㍍)」をもらい、姉2は「石上山(いしがみさん1038㍍)」をもらう。
これらの山はすべて女人禁制の修験の山。
地元の女たちは女神の妬みを恐れて山に入らない。
山の女神は嫉妬深いとされるけど、何を妬むのかなと思う。
山に入る猟師は女神の信奉者なのだから、人間の女如きに嫉妬するいわれがない。山の恵みを与える女神の方が絶対に有利。山の女神は醜いからという説があるけど、それで妬むなら、男は女の美醜に騙されやすい浮気性という男の問題であって、女のせいじゃない。女同士の妬み嫉み問題に置き換えるのって、怒りの矛先を男から離す常套手段だなって思う。
まとめ
今回記事にしてみて気が付いたこと。
なんかやらかす困った水神はぜんぶセオリツ。
おまけ
座敷童のこともあって「大出」の露出が高いので、「岳」の神楽を最後にご覧ください。早池峰・岳神楽さんの「五穀舞」
— 副主席 (@SEI__jou) October 23, 2021
保食神の死体から五穀が生まれた…。雑穀とともに暮らしてきたこの土地の歴史が凝縮しているような演目で、大好きなんです。
「…髪の頂に牛馬生れり、額の上に粟生れり、眉の上に蚕生れり、目の内に稗生れり、鼻の上に稲生れり、陰に麦および豆小豆生れり」 pic.twitter.com/HHEtqzjRiZ
おまけ2
青空文庫朗読はじめました。「ざしき童子(ぼっこ)のはなし」宮沢賢治投稿してから「話」にしてることに気づいてしまった…。
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